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小中高通わずに大学に行った話

※ webページはコチラ → オヤトコ発信所

この世の中にはすごい人がいますね!

小学校も中学校も高校にも通わないことを選び、勉強も一切してこなかったという少女が、17歳の時、突然「大学へ行こう!」と思い立ち、実行。九九もbe動詞もわからないところから、2カ月半で試験へと挑み、晴れて大学に合格! そして いまは 現役の大学生!

先日、そんな親子のお話を聞いてきました。

どうしたら、そんな「天才」を育てることができるのでしょうか・・?

女性(腕組み)

「学校に行かない!」なんて、読み書きもできなくなるんじゃないのかしら・・? って思っちゃうけど・・

いまの時代には「学校に行かない」という選択肢がある!?

「義務教育」の「義務」の意味

なぜ私たちは「学校は行かなけばいけないもの」と思い込んでいるのでしょうか?

高校はまだしも、小中学校は義務教育だから「行って当たり前!」「不登校なんて大問題!」そう思っている人が大多数ですよね。

しかし、本来の「義務教育」の意味を知っているでしょうか?

日本国憲法の第26条に「教育を受ける権利、義務教育」のことが書かれていますが、ここでは「教育を受ける権利」「教育を受けさせる義務」を定めているだけで、「学校に行かなければいけない」との規定はどこにも書かれていないのです。つまり、「教育を受ける場所は、自由」ということです。

例えば、いま、学校以外の教育の場としてあげられるものには、「スリースクール」「サドベリースクール(ディモクラティックスクール)」といった公立や私立の学校とは違うスタイルのスクールや、家で自分のペースで学習を進めていきたいという人には「ホームスクール(ホームエデュケーション)」といった形もあります。

女性(笑顔)

「学校」以外にも、「教育」の形っていろいろあるのね!

教育の場は「学校」だけではない!

そう。だから、学校という枠にはまらないでつらい思いをしている子がいた場合に、「どうしても学校に行かせなきゃいけない!」と思う必要はないのです。大切なのは、親御さん自身が「そういった選択肢もある!」ということを知っておくことです。

冒頭の少女も、たまたま「公立の学校」という枠が自分に合わなかった。だから「行かない」という選択をした。その代わりに6歳~11歳は「サドベリースクール」で、12歳の時には母と一緒に「コミュニティーアート」を創設して、そちらで過ごしていたそうです。

【 小中高通わず 】という文字になると、「何もしないで」「勉強もしないで」というイメージを持ってしまうかもしれませんが、彼女は、「教育や学習・勉強の場が、学校という枠組みの中ではなかった」というだけなんですよね。

自由に過ごせる枠組みの中で、自分自身で「学び」を見出していき、習得していっていたのです。その基盤があってこその「大学合格」なんですよね。

女性(腕組み)

そうよねー。「何もしない」「ラクをして」で できることじゃないものね。

<「不登校」問題>

いま現在、小中学校の「不登校」児童生徒数は、13万4398人(平成28年度 学校基本調査の公表)いるそうです。

彼らの「不登校」の理由とは何なのでしょうか?

もしかしたら、「行きたい」のに、何らかの理由があって行けなくなっているのかもしれません。もしかしたら、学校が楽しくないから、行かないのかもしれません。それらの理由は個々によって違うと思います。

問題なのは、「学校は必ず行かなければいけないもの!」と周りの大人が思い込んでいること、そして学校に来れなくなった少数の子どもたちへの対応が、先生個人にすべて一任されていること、ですよね。なので、先生によって対応が変わったり、学校教育の進展がなかったりとしてしまうのではないでしょうか?


これらの不登校生徒のほとんどすべてが、籍を置いているだけで、卒業認定をもらうことが出来ているといいます。それはつまり、「学校」で学ばなくでも、その他で学んでいた。と、公的に、認められているということになりますよね。

「学校に行きたいのに、何らかの理由があって、行けない‥」という場合は、その「何らかの理由」を解決していかなければいけません。しかし、「学校が楽しくないから、行かない。」という選択をしている場合は、「学校以外の学びの場をつくっていく、見つけていく。」でいいのです。

※前文科省事務次官さんも、「学校に行かなくてもいい。」「学びの場を選べる時代になった。」と言っていますよ。→ https://www.kyobun.co.jp/news/20171010_05/

女性(腕組み)

「義務教育」=「学校に行くこと」と思っていたけど、違うのね!

もともと「義務教育」というのは、昔、子どもを労働力としていた時のように、子どもから教育の機会を奪うことをなくすために設けられたものであって、「公的な学校に行かせなければいけない」ということではない。とも聞いたことがあります。

学校以外の「学びの場」~どんな選択肢があるの?

フリースクール

一般的に「不登校」になった子が通うスクール・居場所として認知されていますよね。文部科学省でも「フリースクール(フリースペースを含む)」とは、不登校の子供を受け入れることを主な目的とする団体・施設を指す。」と定義しています。

サドベリースクール(デモクラティックスクール)

Wikipediaでは、「サドベリー・スクール(サドベリー教育)は、アメリカのボストンにあるサドベリー・バレー・スクールに共感し、同じ理念の下で運営している世界中の学校の総称のことである。別名はデモクラティックスクールだが、サドベリースクールのモデルとは違った形態のデモクラティックスクールも存在する。」と紹介されています。

これは、ちょっと新しい形のスクールですね。その名のとおり、「デモクラティック」=「民主的な」学校です。「フリースクール」は運営などに関して大人が形づくるのに対して、「デモクラティックスクール」や「サドベリースクール」では、運営面に関しても子どもたちが話し合って決めていく形をとっているといいます。~自分のことは自分で決める。そして、みんなのことはみんなで決める。~そんな学校ですね。

女性(腕組み)

そっかぁー。たしかに、「自分のことは、自分で決める!」って、当たり前のようで、いまは、当たり前でなくなっちゃっているわよね。

そう。いまの公的な学校は「ほとんどすべてを大人が形づくり、その枠の中に子どもたちがいる。」という構図ですよね。そういうことに窮屈さを感じてしまっている子どもたちが、「自分のことは自分で決める」ができるスクールを選んでいく。ということに、何の不自然もないと思いませんか?

そして、そういうスクールが増えていくことで、公的な学校も「もっといまの子どもたちにはこういうことが必要になってきているんだ!」という気づきをもち、進展していく「きっかけ」になるじゃないですか。

だから、「学校に合わない」子どもに対して、学校に行けないことを問題視して「どうやったら学校に行けるようになるか?」と試行錯誤するのではなくて、「何がその子にとって合っていたのか?」を見ていく視点を持つことの方が大事なんですよね。

ホームスクール(ホームエデュケーション)

Wikipediaでは、「ホームスクーリングは、学校に通学せず、家庭に拠点を置いて学習を行うことをいう。オルタナティブ教育の形式のひとつであり、ホームスクール、ホームエデュケーションなどともいう。」と紹介されています。

自宅を拠点に学びを進めていく。といった形ですね。

その他の教育の在り方

そして、海外の方の教育にも目を向けると、「イエナプラン教育」といって、ドイツの大学教授が創始した、異年齢のクラス編成に特徴を持つ教育の在り方や、「フレネ教育」といって、フランスの教育者によって生み出された「自発的なグループ活動を通して子どもたちの人間性を養う方式」などもあるそうです。

女性(笑顔)

へぇー。私たちが知らないだけで、いろいろな「教育」や「学びの場」があるのね!

「教育」も自分に合ったものを選んでいけばいい!

自分の一日を 自分でデザインする!

冒頭の少女も、小学校には入学したものの、いろいろと「学校は不自然だ」と感じることが多く、早々に行くのをやめているそうです。そして、小学校に行くのをやめる直前は、「公的な学校」と「フリースクール」と「デモクラティックスクール」と「家」、この4つの学び場の中から、その日の気分にあった「学びの場」をチョイスしていたそうですよ。それはまるで「今日はどの洋服を着ようかなー」といった感覚のように、【 自分の一日を 自分でデザインしていた! 】と、このお母さんは表現されていました。

男の子(まる)

「自分の一日を 自分でデザインする!」ってかっこいいなー!

そんな彼女も、こう言っています。

「学校という一つの規格に、合う子がいるのも、合わない子がいるのも、当然のこと。食事とか洋服にいくつもの種類があるみたいに。そして、そういうものと同じように 自分に合わないものを選び続けるのは疲れるし、もったいないなと思う。」

女性(頭をおさえる)

なんだか、私たちの見識の狭さを感じさせられちゃうわ・・

彼女が学校に対して感じた違和感とは

彼女の感覚や言葉には、すごく心に刺さってくるものがあります。

例えば、彼女が「学校に感じた違和感」・・

始業式から1週間。彼女はこう言ったそう。

「チャイムって、メチャクチャいじわるやねんで! いっつも私のジャマするねん!! うんてい(遊具)やってるのにすぐに鳴って、もうやったらあかんってチャイムがいうねん! なんでチャイムが決めはんの? チャイムのいうとおりにしてたら 自分のしたいことわかれへんようになってしまうやんな。」

このお母さんは、この言葉に、いまの学校には、こうやって「頭と心が離されていくシステム」が、残念ながら存在するのだ・・と、ハッと気づきをもてた。と話されていました。

また、宿題に関しても、「家に帰ってきてまで、学校が追いかけてくる。」といった表現をしていたそうです。そして、先生に何のために宿題を出すのか?と聞いた返答が「あなたのためですよ。」だったので、「私のためなら結構です。私は宿題を必要としていません。」と返したそうですよ。

男の子(虫眼鏡)

それは、すごいなー。

「学び」とは何か?

彼女は、お友達からのメールのやり取りを通して、「漢字」に興味をもち、辞書を引きながらメールを読み、書き、ノートに記して覚えていったといいます。また、マンガ本を教材にして、一生懸命漢字の書き写しをしていたこともあったそうです。

「読みたい!」という気持ちが出たときに、自ら調べる。「学び」というのは、本来は、そういうものかもしれませんね。「知りたい!」という気持ちが出てきたときに、いくらでも自分のものにしていけるものなのではないでしょうか。

そして、毎日の暮らしの中で培われていく生活の術であったり、家族やお友達との関わりの中での一つ一つの経験であったりが、その子自身の「学び」になっていくのでしょう。だから場所にこだわる必要はありませんね。

【 答えがあるもの 】を教わる「学習」
【 答えがないもの 】をどんどん楽しんでいく「遊び」や「学び」

どちらも、自分のスタイルで楽しんでいければいいのだと思います。

そうやって、自分の感じるままに、心のままに、今の一瞬一瞬を大切に過ごしてきた彼女。

だからこそ、2カ月半という時間の中で、今までの「生」からの「学び」を、図式や形式上にあてはめていくということで、試験をパスすることが出来たのではないでしょうか。

この時のお話し会には子どもたちの参加もあり、横で遊んでいる子やお話を聞く子と、それぞれが自由に過ごしていたのですが、「お話を聞きたい!」という子が結構いたのには、主催者の方も驚かれていました。

そして、とても心に残った一人の子の感想がありました。

『 わたしは戻りたいから、頑張るだけだね。行けなくてもいいんだ。ちっちゃいことで悩んでた。』

子ども自身が、学校に行けなくなった自分を責めてしまっているのですね・・ そして、罪悪感を持ったり、自分自身がわからなくなって悩んでいたりするのです・・ 小中学校不登校児童として数えられている13万4398人の中に、そんな苦しみを抱えている子がどれだけいるのでしょうか・・?

この親子のように、強く在れたら、どれだけの子どもたちが救われるのだろうか・・ とも思ってしまいます。

では、この親子の強さは、どこにあるのか? を探っていってみましょう。 → 小中高通わずに 17歳で 大学に合格した話② ~子どもの「天才性」を引き出す親~