Pocket

この記事は約 14 分で読めます。

「小中高に通わず大学に行った話」

※ webページはコチラ → オヤトコ発信所

この世の中にはすごい人がいるものです!

小学校も中学校も高校にも通わないことを選び、勉強も一切してこなかったという少女が、17歳の時、突然「大学へ行こう!」と思い立ち、実行。九九もbe動詞もわからないところから、2カ月半で試験へと挑み、晴れて大学に合格! そして いまは 現役の大学生!

先日、そんな親子のお話を聞いてきました。そして、なんといっても、この親子の「芯の強さ」が、印象に残りました。

どうしたら、そんなに心を強く持つことが出来るのでしょうか?

女性(ショック.)

もし、自分の子どもが「学校に行かない!」なんてなったら、私だったら、アタフタしちゃうかも・・

一般的にはそうですよね。でも、このお母さんは、そういう意味では全く違う考え方をもっていました。というよりも、「世間体や周りの風潮などに流されない、自分自身の考え方や生き方の軸をきちんともっていた。」という表現の方が正しいかもしれません。

そんなお母さんの言葉や考え方をいくつか紹介しますね。

子どもの「天才性」や「可能性」を引き出す 親

親子といえども横軸の(対等な)関係にあること!

まず第一に、このお母さんは、「子ども=大人が色々と教えてあげる存在」とは思っていません。それはつまり、親子が縦軸の関係ではなく、横軸(=対等な関係)にあるということ。

どうしてもね、親って、子どもに「何かをしてあげなくちゃいけない」って思ってしまうじゃないですか。だから、「お行儀よくすること」や「世間並みの行動をとれるようにすること」や「勉強をきちんとさせていくこと」や「休まずに学校に通わせること」なんかを教えようとしてしまうんですよね。

でも、「子どもに何かを教える必要はないんだ!」と、このお母さんははっきりと言います。子どもは、誰かが育てなくても、自分自身で「育つ力」をもっている。つまり、育てなくても育つもの。自分はそう考えている。って。

この世に生れ出てきた赤ちゃんは、みんな「天才性のかたまり」。

誰が何を教えなくても、自分でタイミングをみて、生まれるときを選び、産道を回るようにして出てくる。生まれてからも、まずは、自分のからだの存在を知り、一つ一つに「これは何だろう?」と興味を示し、手を伸ばしていく。そうやって、物事のいろはを、自分自身で覚えていく。

乳児期の「子どものあゆみ」って、もう、一つ一つが愛おしくてたまらないですよね。「寝返りできた!」「ハイハイできた!」「歩いた!」「おっぱいが離れた。」その一つ一つは、親にとっても喜びとなり、「よくやった。嬉しい、嬉しい。」って、温かなまなざしで見守られていくでしょ。

それが、いつからか「しつけ」や「育児」という言葉がのしかかるようになり、子どもに「世間並みの行動が取れること」を望むようになり、どうしたら子どもが言うことを聞くのか? と悩むようになる。

女性(腕組み)

たしかに、そうよね。赤ちゃんのうちは 何につけても「喜び」だったけど、いまは 何かにつけて「負担」ばかりだわ・・

幼児期は、それぞれの個性が表立ってくる時期だから、特に、「うちの子はおとなし過ぎて‥」「うちの子は元気すぎて‥」等と悩んだり、「こーしなさい、あーしなさい。」と言っても、子どもには伝わらないし、子どもは、常に 快か不快かでしかなく、気分屋で。でも好奇心のかたまりだから、興味があることはとことんのめり込んで、動かなくなったりとする・・

そんな中、親は、「時間の切りよく家に帰らなきゃ」「ちゃんとした場では静かにさせなきゃ」「幼稚園前にオムツを外さなきゃ」「挨拶くらいきちんとできる子にさせなきゃ」等々、一人ですべてを抱え込み、悩んでいくんですよね。

でも、「どうして、子どものことなのに、親が悩むの?」「子どものもっている好奇心や探求心。どうして、それを制限しなければいけないの?」 このお母さんは、こう言います。

女性(腕組み)

だって、子どもを一人前に育てるのが、親の務めじゃない・・?

たしかに、乳時期は、親の全面的なお世話が必要ですよね。しかし、そこからだんだんと自立していく幼児期 → 学童期 にかけても、お世話をしすぎている親御さんがホントにたくさんいます。そして、親御さん自身が、自分と子どもを同化してしまっていることに気づいていないといった状況も多く感じます。

子どもと自分を同化しない!

「嫌われる勇気」で有名になった「アドラー心理学」では、「自分と子どもと自分を同化しない!」といった考え方があります。このお母さんも、同じようなことを言っていました。

例えば、朝起きられなくて学校に遅刻したとして、そこで困るのは親ではなく本人です。だから、このお母さんは、朝、子どもたちを起こすこともしなかったといいます。

そして子どもたちは、寝坊して、遅刻して、嫌な思いをしたからこそ、「次は、寝坊しないようにしよう! そのためには、どうしたらいいんだろう?」と自身で考えていきます。そしてその結果、「お母さん、目覚まし時計買って。」と言ってくる。そこで、「じゃあ、一緒に買いに行こう!」となっていった。

このような親子の関係性を「シェアハウスに住んでいる同居人みたいな感覚。」 と表現されていましたね。これが「子どもと自分を同化しない」ということです。

女性(腕組み)

たしかに、シェアハウスに住んでいる同居人だったら、朝起こしたりしないわ。でも、子どもにそれをしないって、すごく難しいわよね・・

幼児期は一番難しいですよね。この時期は、いろいろなことを覚えていっている時期なので、「何も言わない」=「基本をわからないまま育つ」になってしまいます。なので、教える部分はきちんと教えていかなければいけません。

例えば、子どもが どんな悪さをしても、「アドラー的子育て」に「叱らない」とあったから、何も言わない。では、その子は「自分は何をやってもいいんだ!」と覚えていきます。そして学童期や青年期になって、本人には悪気はないけど誰かを傷つけてしまったとするでしょ。その時に一番困惑し、つらい思いをするのは誰でしょうか?・・本人ですよね。

それでは困ってしまいます。そこで、この場合に重要になってくるのは、「子ども」に対して、=「大人が色々と教えてあげる存在」や「大人が何かをしてあげなければいけない存在」と思わないこと、の部分かもしれません。

結構見かけますよ。子どもに対して「あーしなさい、こーしなさい」と指示ばかりの親御さんを。あなたはどうでしょうか? 一度、振り返ってみませんか?

例えば、「ほら、滑り台をやりな!」「何で滑り台を下から登るの?ダメでしょ!」「今日はスコップとシャベルを持ってきていないから砂遊びはできないよ!」と、いちいち、子どもの「遊び」にまで指示をしている親御さんが結構いますよ。

子どもたちは、何がなくても、自分で「遊び」を見出していく力を持っています。まずは、その「子ども自身が作り出す遊びを見守っていく」ということが出来るようになるといいですよね。

例えば、「帰ろう。」と言っても応じてくれない・・ 自分は早く帰りたいのに・・ お昼ご飯も食べていないのに・・ と嘆いている親御さんもよく見かけます。

なぜ、早く帰りたいのでしょうか? その子は、お腹がすいていれば、遊びよりもご飯を要求してくるのではないですか? いまは「食べる」よりも「遊び」をしたいとき。だったら、それにつき合ってあげることはできないのでしょうか?

女性(腕組み)

なるほどー。そう考えると、確かに、子どもに対して、いろいろな口出しをし過ぎているのかもしれないわね・・

「見守る勇気」「口を出さない勇気」を持つこと!

じつは、「遊び」というのは、ものすごい「学び」の手段です。特に幼児期は「遊び」を通してさまざまなことを体感し、覚えていきます。こちらのお母さんも、好奇心から衝き動かされる遊びは、向上の精神をもち、「想像力」を越えて、「創造力」を生み出すものだ。と話されています。

自分に置き換えてみると、わかりやすいかもしれません。誰かに、強制的にやらされたことって、自分の中に残っているでしょうか?

私は、あんまり残っていないな。と思います。それよりも、自分がやりたくてやったことや、悔しくて頑張ったこと、楽しくて続けてきたことの方が、何倍も自分の中に残っています。勉強も、学校に行き、受動的に受けてきたものよりも、大人になってから、「知りたい」という気持ちで勉強したことの方が入りが良かった。

子どもにとっての「遊び」も同じです。誰かに誘導されてやる「遊び」は、子どもにとっての「遊び」にはなっていきません。

そう考えると、普段、私たち大人が、良かれと思ってやっていることって、本当に、子どもにとってのプラスになっているかどうか? の部分は、いま一度、見つめ直した方がいいのかもしれませんね。

男の子(ふーん)

ほんとにそう! お母さんに言われて、「今やろうと思ったのに!」って思うこといっぱいあるよー。「これやりなさい!」って言われるのもイヤ! 返ってやる気がなくなっちゃうんだよね。

そうですよね。そして、一番考えた方がいいのは「やってあげる」です。大人が「やってあげること」で、その子は「やってもらうこと」を覚えていきます。それはつまり、「自分でやる」ができなくなるということ。また、大人が「考えてあげる」ことをすると、子どもは「自分で考える」ができなくなってしまいます。

だから、「見守る勇気」「口を出さない勇気」をもっていきましょう。

そして、「いけないことは、いけない!」と教えること。そのボーダーラインは親御さん個々の考え方でいいと思います。「人を傷つけるようなことだけは、絶対にダメ。」「相手のことを思いやれない行動だけは、絶対ダメ。」等、自分たちが子どもに教えたい軸はブレないようにしていってください。

そうやって幼児期に親子の信頼関係を築けた上で、学童期 → 青年期 になったときに、上記のような「シェアハウスの同居人のような感覚」で、お互いを尊重しながら、お互いを認め合える、という関係性の親子で居れるようになるのではないかな。と思います。

女性(腕組み)

理屈はわかるけど、実際に・・となると、やっぱりむずかしいわ・・

自分が何に困っているのか?を掘り下げてみる

子どもというのは「好奇心のかたまり」です。そして「快か?不快か?」で生きています。また、興味があることにはとことんのめり込み、時間も忘れますよね。

それって、何も困ったことではないのです。むしろ、そういう精神は「人間が生きていく上での源」となっていきます。なので、幼児期には、出来るだけ そういった体験をたくさんさせてあげてほしいな。と思います。

ここで、考えてみましょう。

親は、子どものそういった行動の「何に」困っているのでしょうか?

自分は何に対して不安になっているのか? なぜ、心配になっているのか? を、形にしてみるといい。と、このお母さんも話されていました。具体的には、思っていることをすべて紙に書きだしてみること。そうすることで、自分が何に対して不安を抱いているのかが見えてきます。

例えば、家で、2~3歳の子は、「ママ、みてみて。」「ママは、ここにいて。」等々、ほんとに子どもにつきっきりになってしまいますよね。それに、どうしてもつき合っていられなくてイライラしてしまうとします。

そこで、「自分は、何に、イライラしているのか?」と考え、書き出してみます。

→洗濯ができない。
→ごはんの準備ができない。
→自分のペースでくつろげない。

そうか、「洗濯ができない」「ご飯づくりができない」と思うから、イライラするのか!

でも、「洗濯なんて、別にいいか。できるときにやれば。」じゃあ、「ご飯づくりも、ある程度まとめてやっておけば、時間を気にしなくて済むか!」なんて、発想の転換を出来たら、それだけで、イライラはなくなっていきます。

そうか、「自分のペースでくつろげない」から疲れるのか!と思ったら、「自分だけの時間をつくる方法」を考えればいいのです。休日に、旦那さんに協力してもらって、一人で出かけられる時間をつくるとか、子どもが小さいうちは難しいかもしれないけど、朝早く起きて、自分だけの、自分で好きに使える時間をつくる。とか。

そういう息抜き方法を作り出せるだけで、子どもとの毎日は、イライラではなく、楽しみに変わっていったりとするものですよ。

女性(笑顔)

そっか! 育児のイライラの解決方法って、自分で見い出していけるものなのね!

あとは、子どもに対して何かを期待しないことですね。

私たちが(子どもに対してだけではなく)人付き合いにおいて、何で、イライラしたり「裏切られた」と思ったりとするかというと、相手に期待をするからです。自分の期待に対して、相手が思うように動かないことで「怒りの感情」というのは湧いてきてしまいます。

だから、イライラしないためには、「期待をしないこと」です。相手を自分の思うように動かそうとしないこと。

ただ「相手に何も望まない」と言っても、例えば、一緒に暮らしていくとか、一緒に仕事をしていくとかとなった場合には、ある程度すり合わせやルールや配慮は必要になってきます。そこは、話し合うことで調整していけばいいし、相手を思いやる心を忘れなければ大丈夫ですよね。

「子どもに、世間並みを望む。」も、望んでいるので「=期待していること」になりますよ。「周りと違う!」も「そっか。」で受け入れられるようになれたら、もう、あなたのイライラはなくなります。

お母さんは「家庭」というものをつくる「アーティスト」!

『「いい家庭」というのは「子どもがそこに居たいと思うところ。」 そして、その家庭をつくるのはお母さん自身。お母さんは「家庭」というものをつくる「アーティスト」! お母さん次第で、晴れにも雨にもなる。それが「家庭」というもの。

だから、自分のリラックス方法を見つけ出し、自分の気分をつくっていき、「家庭」というアートをつくる。そう考えたら、楽しくて仕方なくなるはずだ。』

このお母さんが、最後に、みんなに送っていたエールの言葉です。

女性(笑顔)

「お母さんは「家庭」をつくる「アーティスト」!」なんて、素敵な考え方ね!

私も同じように思います。一番は「いまの自分」。そして自分が「いまを楽しむ」こと。そして、このお母さんのように、「世間体や周りの風潮などに流されない、自分自身の考え方や生き方の軸」もっていくこと。

そうすれば、自ずと、子どもも、自分の好きなことを、楽しんで極めていくのではないでしょうか。それが、子どもの「天才性」や「可能性」を十分に引き出すということなのでしょうね。

だから、「子どもがどうか?」の前に、「自分がどうか?」に目を向けていってみましょうね。