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大人の「発達障がい」!?

例③【 モンスターペアレンツ 】

さらに、やっかいな場合があります。俗に言われる「モンスターペアレンツ」とかですね。些細なことで「うちの子が差別された!」と苦情を言ってくるために、先生が対応しきれなくて精神的に追い詰められてしまうこともあると聞きます。

これは、一見「奇異的な行動をとる人」として終わってしまいますが、本人は、「相手の気持ちや周りへの影響などの「目に見えない部分」がわからない」という困難さを持っているのです。

そして、気になったことに固執してしまうという側面も持ち合わせています。さらには、「自分は被害者だ!」と思い込んでしまったら、目に見える何かのお返しがないと納得できなくなってしまいます。ここまでくると「対人関係をスムーズにする」部分にも、何かしらの「滞り」が生じてしまっていると考えられますよね。

「目に見えないもの」がわからない。「わからない」の積み重ねによって「不安」だらけ。そして「防衛機制」というものが働くのです。

<「防衛機制」とは‥?>

「防衛機制」とは「適応機制」とも言われ、心理学などで出てくる用語です。

人間は、受け入れがたい状況や危機に面したときに、無意識的に「自分を守るための解決策」をとります。例えば、子どもの「赤ちゃん返り」などですね。これは、専門用語では「退行」といって、幼い時期の自分に戻ることで自分を守ろうとする無意識的な行動です。

また、例えば、何かに依存すること(「アルコール依存」や「薬物依存」等 )だったり、例えば、「暴言」「暴食」「過食」「拒食」「自傷行為」「万引き」等の行動をおこすことだったりは、何かの行動に変えて自分を守ろうとする「行動化」といわれる防衛機制の一種です。

また「八つ当たり」のように、代理となるものに、その不安や恐怖をぶつけたり、怒りを感じたりすることは、「置き換え」と言われる防衛機制です。

女性(腕組み)

へー。この「合理化」「行動化」「置き換え」って、全部、上の人の行動に重なるわね!

結局は、「わからない」だらけで「不安」だらけの自分を必死で守っている。それが、傍から見たら「奇異的な行動」となってしまっているというわけなのです。

こういった場合も、やはり「発達障がい」という概念は邪魔になります。「防衛機制」というのは「無意識的」に働いているものだし、おそらく、子どものころからそうやって必死で自分を守るしか方法がなかったのでしょう。そして、ちょっと周りから浮いてしまっている自分に気づいていたとしても「これが、私。」と肯定し自分を守ってきたのです。

こういった場合も、きっと、本人自身が「無意識的に」たくさんの「つらい」を抱え込んでいる状態なのでしょう。

必要なのは「身近な理解者」

こんなふうに複雑になっている 「片づけられない主婦」も「生き方不器用な社会人」も「モンスターペアレンツ」も、自分自身で何かの「気づき」をもっていけたら、変わっていけるのですが、それは「自分自身で」になるのです。なので、周りがどう言っても本人の気持ちが伴わない場合は、本人の自己肯定感を傷つけるだけとなってしまいます。

なので「発達障がい」かどうかという視点ではなく、その本人は「どういう人間なの?」という視点が重要となってきます。

そして「目に見えないものがわからない・・」といった困難さを抱えている人にとって、一番の支えとなるのは、身近にいる「自分の理解者」なのです。「ここがわからないから、教えて。」と聞ける存在ですね。「何がわからないかが、わからない・・」という場合でも、そういったことに寄り添ってくれる存在。

旦那さんでもいい、職場の上司でもいい、仕事仲間でもいい、友人でもいい。自分のことを理解し、寄り添ってくれる人の存在があると、その困難さをのり越えていこうとするチカラになっていきます。

女性(腕組み)

でもそれって、「発達障がい」とか関係なく、誰でもそうなんじゃないかしら。

そうですよね。そして、社会全体がそうであったら、素敵だと思いませんが。それが、じつは昔の日本社会にはありました。↓

「現代社会」が生みだしている「発達障がい」という病気

「サザエさん」は「発達障がい」なのか?

「発達障がい」という概念があると、それをツールとして、自分の「できない」に気づけたり、仲間を見つけ出せる人もいます。しかし反面で、「発達障がい」という概念が邪魔になり、本人をさらに殻の中に閉じ込めてしまう場合もあるのです。

「発達障がい」という概念は、昔はなかったんですよね。現代になって急に言われ出したものです。「概念がなかっただけで、そういう人はいた。」といった言われ方もしますが、「現代社会によって生み出されている。」という言われ方もします。

結局のところ、私は、ムリにそこに自分や家族を当てはめていく必要はないのではないか。と思います。本来は「その人は、その人。」でいいはずです。そして、それをみんなが認めるような社会が、昔の日本にはありました。

例えば「サザエさん」です。

『 お魚くわえた ドラねこ 追っかけて 裸足で かけてく 陽気な サザエさん ♪ 』
これを、現代社会にあてはめると、靴も履かずにねこを追いかけるなんて、「衝動性」と診断されてしまいます。

『 買い物しようと 街まで 出かけたが 財布を 忘れて ゆかいな サザエさん ♪ 』
こんな「うっかりミス」や「忘れ物」ばかりでは、「不注意」とも診断されますね。

こんなサザエさんは、現代社会に生きたら、「衝動性」に「不注意」を合わせもつ「ADHD」と診断されてもおかしくないのです。

女性(腕組み)

ほんとね!

でも、あの時代の中では、『 陽気な、ゆかいな、サザエさん ♪ 』ですよね。『 みんなが わらってる~ ♪ おひさまも わらってる~ ♪ 』と、みんなに温かく見守られている。

「サザエさん」は「サザエさん」でいい。
「サザエさん」は「サザエさん」だからいい。

ここに「発達障がい」という概念をあえて入れなければいけないのは、現代社会がゆえなのです。

偉人にも「発達障がい」が多いと言われますが、

「偉人なんて言われている人たちは、みんな「発達障がい」だった!」などとも言われますが、そんな人たちも、みんな「その人」として認められてきたのでしょう。そして、その枠にとらわれない「自由な感性」が、時に「偉業」となっていったのでしょう。それもきっと周囲の人やその人を取り巻く環境があってこそなんだと思います。

理想は昔の日本社会!

「発達障がい」という概念の中にある、いろいろな「つらさ」や「困難さ」‥ そして、それが積み重なり、こんがらがっていっている姿・・ そこから、必死で自分を守るためにできていく「固い殻」・・ そこから生まれている「さまざまな社会問題」・・

でも「サザエさん」のように、「それが個性!」と笑い合えるような心豊かな社会であったなら、きっと、そんな「こんがらがった糸の塊」も「自分を守るための固い殻」も「さまざまな問題」も、生じていないのかもしれないですよね。

女性(腕組み)

そうか・・ 確かに、そうかもしれないわね。