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大人の「発達障がい」とは?

なぜか、ちゃんとできない自分・・

最近よく「大人の発達障がい」なんて目にしませんか?

「協調性がない」とか、「表情が乏しい」とか、「片づけられない」とか、そういったことは『 じつは「発達障がい」が原因だった!』 なんて情報をみつけると、自分や身内にそんなことを重ねて考えてしまったりもしますよね。

「発達障がい」というのは、「=脳の機能障がい」なので、脳のどこかに滞りがあって、それがゆえに何かしらの「できない」を抱えている場合にそういった診断名がつけられます。

これが、子どもの場合は 大人の保護下にいるので そういったことに気づかれて、守っていってもらえることが多いですが、これが大人の場合になると、とてもやっかいですね。

大人の場合は「一社会人としての責任」を求められます。そうすると、本人にとっては「できないこと」であっても、一般常識的に「できて当たり前」といった見られ方をするために、それを周りに理解してもらうことが難しくなってくるのです。特に「仕事」となった場合は、失敗は許されなくなります。

女性(腕組み)

確かにそうよね。「一般的にできて当たり前のことが、できない」なんて理解されにくいと思うわ・・

そして、当の本人自身が、その「できない」に苦しんでいることも多い。「なぜか、いつもちゃんとできない自分・・」「なぜか、失敗ばかりを繰り返してしまう自分・・」「何か、いつも周りから浮いている自分・・」「なぜか、人とギクシャクしちゃう自分・・」

そういうふうに、自分でもよくわからないけど、何かしらで「周りとの違和感」を感じながら生きてきているのです。それが、いま言われている「大人の発達障がい」とういうもの。

本人の気持ちとしては、「一生懸命にやってるつもりなのに・・」「やる気がないわけではないのに・・」「なんか、いつも失敗しちゃうんだよな・・」といった感じ。

でも、周りの人からしてみれば、「あの人は何でも「安請け合い」をするけど、結局、どれも中途半端なんだよね!」とか、「あの人は、いつも同じ失敗を繰り返す、使えない人材なのよね!」とか、「あの人は、いつも話を聞いていないのよね!」といったように、同じ失敗ばかりされるがために、嫌気がさしてしまうのです。

そして、上司に怒られ、仲間に嫌われ、友人関係も上手くいかなくなる・・ となったときに、本人は、すごくつらい状態になってしまっていますよね。でも、本人の気持ちは理解されないのです・・

女性(腕組み)

そうよね。常に空回りしていて、追い詰められてしまっているような人、って結構みるわ。

そう。空回りしちゃってる人たちですね。例えば、こんな感じです。↓

例①【 片づけられない主婦 】

部屋は、常に何かが積み重なっているような状態。

「今日はがんばって片付けよう!」と物を整理していると、懐かしいアルバムが出てきて見入ってしまう。 ハッと気づき、片づけを再開したら「安売り」のチラシが目に入り、買い物に出かけてしまう。 買い物途中に、以前から欲しかったものを売っているお店をみつけ、入ってしまう。 気がづいたら、子どもの幼稚園にお迎えに行かなければいけない時間になっていてお迎えに行く。

結局、片付けも、買い物も、夕飯の準備も、何もできずに時間が過ぎていた・・

そして仕事から帰ってきた旦那さんに、「疲れて帰ってきてるのに、部屋も散らかっていて、夕飯の準備も出来ていないなんて、勘弁してくれよ・・」と言われる。

この場合は、気が散りやすく、整理整頓が苦手で、思いついたらすぐ行動する。でも、他への影響を考えられない‥ という状態。「ADHD」なんかのチェック項目に当てはまっていきます。

そして、それがゆえに この人は「困っている」でしょ。

そこで、この「発達障がい」の概念が入ってくると、

「ADHD」というのは、「脳の機能障がい」により「衝動性」や「不注意」が現れるものなので、本人のやる気の問題ではありません。「できない部分」に対して どう対処していくかが重要です。となり、

その具体的な対策としては、

頭の中も整理できていない状態なので、→「今日やるべきことを、紙に書きだしてチェックしていくといいでしょう。」とか、「やる順番や具体的な時間の目安まで、最初に決めるといいでしょう。」とか、

「漠然に片付けよう。」では、できないので、→「「1日10個片づける!」などと、具体的にできることを計画立てていくといいでしょう!」 とかと「できない」を補う方法を示されていきます。

「何でいつもできなかったのか?」がわかり、「じゃあ、どうしていけばいいのか?」がわかると、前述したような漠然としたつらさから解放されていくでしょうね。そして、ネットなどで、同じような「困難さ」を抱えている人との交流や情報交換をできたりもすれば、なおさら心が軽くなっていきます。

「発達障がい」という概念は、そんなツールになっていくのです。

そして、「私、これ苦手なんで、こうすることにしてるんですよ~」なんて気楽に言えるようになったら、自然と、周りからの自分に対する見方も変わってきますよね。

診断名が、そうやって相乗的にプラスに働くこともあるのです。

女性(笑顔)

そっか。「自分を知る」ためのきっかけになるのね!

急に「障がい者」にされ、精神的に追い込まれることも‥

でも、逆もあります。

「特に悩んでいたわけではない。ただちょっと「不器用さ」があっただけ。」なのに、身内に「「発達障がい」かもしれない!」と言われ、受診させられる。そこで診断名がつく。

ある日、突然「障がい者」になってしまった自分。周りとは違う人間なんだとレッテルを貼られたような感覚になり、どっと落ち込んでしまう・・ なんていう場合もあるのです。

だから大切なのは、「その人が「困っている」かどうか?」の部分です。ただ、本人自身が「困っている」ことに気づいていない場合も多いです。なので、難しい・・

女性(腕組み)

確かにそうよね。突然「発達障がい」って診断されたら、私も落ち込んでしまうと思うわ・・

あとは、こんなタイプの人もいます。↓

例②【 生き方不器用な社会人 】

実家では、母親が「うちの子は、馬鹿だから。」「口ばっかり達者で。」と、よその人に言うことが嫌でたまりません。ずっと、そう感じながら大人になってきています。そこの裏側にある愛情とか、身内を低く言うといった日本文化的な部分がわからないのでしょうね。

当然、実家には居心地が悪くなって、少し離れたところに仕事を探し、一人暮らしを始めます。

でも、仕事も上手く続けられません。同じ失敗を繰り返したり、上司や同僚との関係を上手く保てなくなったりとして辞めてしまうことが続き、結局、責任がどっとのしかかる「正社員」より、一定期間だけの契約で、責任も軽く済む「派遣社員」や「アルバイト」といった仕事を選んでいきます。

そうやって、なんとなくやり過ごしていくけれど、たまに、冠婚葬祭の場などになったりすると、やっぱり「常識的にはどうすればいいのか?」がわからなくて挙動不審になります。身内の死に際に、喪服をもって現れたりもします。

本人の中に悪気があるわけではないんだけど、誰にも聞けない「わからない」の積み重ねによって、傍から見たら「ちょっとおかしい人」的な行動をとってしまう結果となっているのです。

そこで、また母親に言われます。「お前は、ほんとに馬鹿なんだから!」と。

こういう場合も、本人の中にある「つらさ」というのは、相当なものですよね。

きっと、子どものころから「違和感」を抱えてきたけれど、必死で周りに合わせ、必死に自分のことを守ってきたのでしょう。そして、自分を守るための手段が「逃げること」だったのでしょう。しかし、そうやって逃げてきた結果、自分の中の「わからない」や「できない」は、どんどん押し込まれていって、こんがらがった糸の塊のようになってしまっているのです。

そして、それは「自分という固い殻の中」にしまわれてしまっている。でも「わからない」「できない」ままにしてあるから、肝心な場所でもちゃんと振舞えずに、また「できない自分」と向き合わざるを得なくなってしまう・・ といった感じですよね。

こういう場合はやっかいです。その人の過ごしてきた年月分、自分を守ってきた殻が厚くなっているから、その奥にある「わからない」や「できない」の糸の塊を一つ一つほどいてあげたくでも、そこまでたどり着けません・・

ここに「発達障がい」なんて概念が必要だと思いますか? 余計に本人を混乱させるだけなんですよね。

なので、子どものときにちゃんと気づいてあげて、その対処法を、子ども自身に習得させてあげられるといいのですが、そういったことがされずに何となく大人になってしまうと、こういった苦しみをずっと背負っていくことになるのです・・

女性(ショック.)

なんだか、私もつらくなってきちゃったわ‥

他にも、いろんなタイプの「困った」があります。→ 「発達障がい」シリーズ⑩ ~大人の「発達障がい」②~ へ続く。