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女性(腕組み)

「自閉症」って聞くわよね。でも、名前しか知らないわ・・

「自閉症」のK君

『 自閉症・ADHD のお友だち 』という、特別支援学校の先生が書かれた本に紹介されている K君 のお話をご紹介しますね。

K君は、その先生の学校に小学部より入学してきたそうです。そしてその先生は、彼が 1年・2年のときは、傍から、「駐車場で 先生に囲まれながら 寝転び 泣きわめいている姿」や、「プールサイドで 先生に追いかけられながら逃げいてる姿」をみていたといいます。そして3年生のときに、担任になったのだそう。

この本には、そこからの関わり合いについて 書かれていました。

「自閉症」とは何か?

「自閉症」というのは、主に、コミュニケーション能力や人間関係の部分に「できない」を抱えている場合にそういった診断名がつけられます。

「自閉症」の場合、こんな「できない」を抱えていると言われます。

<人と上手くつき合えない>

* 他の人と目線が合わない。
* 感情を、表情や身ぶりで表現することができない。
* 周りに関心がないようにみえる。
* 相手の気持ちを想像できない。

<コミュニケーションが上手くとれない>

* 言葉で意思を伝えることができない。
* 相手の言ったことを、理解できない。
* オウム返しをする。
* 抽象的なこと、例え話などの理解ができない。
* 自分の話したいことだけを一方的に話す。

<行動にパターンがあり、こだわりが強い>

* 落ち着きなく手を動かしたり、部屋の中を行ったり来たりする。
* 行動にパターンがあり、予定外のことがあると行動できなくなる。
* パニックになることもある。
* こだわりが強い。
* 興味があることに対しては、深く覚えていく。


しかし、ひとくくりに「自閉症」といっても、十人十色です。それに「できない」の範囲も、深さも、やっぱり「それぞれ」です。

例えば、(これは他の「発達障がい」の特徴にもあげられていますが、)「目に見えないものが わかりにくい。」といった特性があります。具体的には「時間」や「暗黙の了解」などは理解しにくいようです。

K君の場合でみていくと、彼が、なぜ「駐車場で 先生に取り囲まれて 泣きわめいていたのか?」 というと、

「車が大好き」なんだそうです。でも、「授業中だ」とか「先生に迷惑をかける」とか、そこの部分の認識はない。とにかく「車が見たい!」で、駐車場に走っていってしまうのです。そして、興味があるものは触りたい。「他人の車にさわってはいけない。」という認識もないのです。

ここでの K君 の内面は、「車が好き。見たい! 触りたい!」ですね。それに伴って行動をしているだけです。

でも、それを先生に止められるでしょ。

すると、わけがわからなくなります。 寝そべって、泣きわめくしかなくなるんですよね。言葉をもたない場合は、特に。

そして、先生たちも 手がつけられないというか、どうしていいかわからない状況になるのです。

女性(腕組み)

なんだか、小さい子みたいね。

そうなんですよ。よく おもちゃ屋さんの前で おもちゃが欲しくて ダダをこねている子、とかと同じですよね。

それが 幼児の場合は、成長に伴って その「できない」が「できる」ようになっていくでしょ。でも K君 は その「できない」を抱えたまま 小学生になっているのです。

女性(腕組み)

そっかー。そういうふうにイメージすると、K君 の中の「つらさ」が、理解できるような気がするわ。

そして、この先生が担任になったときにしたことというのは、「何がいけないのか?」「どうすればいいのか?」を K君 に伝えていくということ。

『 車を見るだけならいい。触るのはダメ。』『 車を見に行きたくなったら、「くるま みたい」カードを首から下げること。』というように、本人にわかるような言動をもって、教えていったそうです。

すると、K君は、駐車場で寝転び、泣きわめくことはなくなっていったといいます。

女性(笑顔)

つまり K君は、車を見に行くための方法を知らなかっただけ。ということなのね。

そうなんですよ。やり方がわからないから、勝手に行ってしまっていたのです。そして、わけが分からずやりたいことを阻害されるから、泣き騒ぐしかなかった。でもこの先生は、K君の「できない」がどこにあるのかをきちんと見て、それに寄り添い、わかる方法を一緒に探してくれた。だから、K君の混乱はなくなっていったのです。

「自閉症者に寄り添う」とはどういうことか?

「自閉症者の世界」

よくよく考えてみると、私たちを取り巻く環境というのは「目に見えない」ことだらけです。

* その場の雰囲気とか、
* 空気感とか、
* 言葉の一つ一つがもっているたくさんの意味合いとか、
* みんなが常識としてわかっていることとか、
* 人の心とか、

そういうものが「わからない」状態って、想像できますか?

よく、「自閉症者の世界」というのは、言葉も文化も全くわからない外国に、一人ぽつんと置かれた状態。なんて例えられます。

* まわりの人が話していることの意味がわからない・・
* そこの風習や習わしも、わからない・・

どうしていいか わからなくなりますよね。でも、そういう状況でも「打ち解けられる瞬間」ってあったりしませんか?

例えば、みんなで一緒にスポーツをしたり、例えば、好きな音楽を一緒に聞いたりすると、打ち解けられたりしますよね。

「非言語コミュニケーション」

言葉を介しないコミュニケーションのことを「非言語コミュニケーション」といいます。

赤ちゃんとか、幼児とか、言葉をまだ習得していない子どもでも、コミュニケーションってとれるでしょ。‥そんな感じです。そして、これは、子ども同士、日常の中で すごくやっているのです!

子ども同士で遊んでいる姿をみると、ちゃんと、相手を待ったり 相手にゆずったりということを、言葉を介しなくてもやっています。「ごめんね。」という言葉がなくても、自然と許し合える瞬間があったりもします。

「ごめんね。」と言わせて はじめて仲直りが成立する。と思っているのは、じつは大人だけです。子どもたちにとって「言葉」ってそんなに重要じゃなかったりするのです。

男の子(ふーん)

そうそう。大人に「ごめんなさい。は?」って言われても・・ 返って「ごめんね。」って思えなくなってくるんだよね・・

だから、「自閉症」のように、独特の世界があり 言葉を介しての意思疎通ができないといった場合でも、子ども同士だとコミュニケーションをとれていたりもします。

そう考えると、いまの時代、何かにつけて「発達障がい」の診断がつけられることが多いですが、「自閉症」などといった枠組みを大人が作って、他の子どもたちと区別をつけていくことによる弊害の方にも目を向けていかなければいけないのかもしれません。

「発達障がい」となると、「普通級に入れない‥」とか、「特別支援学級になっちゃう‥」とか、そこが気になってしまいますよね。でも本来は、「どこのクラスに入るか?」よりも、「本人にとって、どこが、居心地がいいか?」なのです。その子の「できない」や「つらい」がどこにあり、それに対して何が必要とされるのか? なのです。

そして、大人がそういった視点を持っていくと、子どもたちはそれを見て、個々の違いを受け入れられるようになったり、相手を思いやる心を育んでいったりとするのではないでしょうか。

日本の場合は、学級や教育が先にあり、子どもをそこに合わせていこうとします。でも、教育先進国のヨーロッパの方は、子どもに学級や教育が合わせられていくのだそうですよ。

そういった「大人や社会の在り方」も、見直していかなければいけないのかもしれませんね。

女性(腕組み)

確かにねー。「あの子は自閉症。」と思って見るのと、「あの子はこういう子。」と思って見るのとでは、イメージって全然変わってくるものね。

<東田直樹くん>

東田直樹くんを知っていますか?

彼は、「重度の自閉症」です。ただ、幼少期からのお母さんの「努力」がものすごくて、会話をすることはできませんが、文字を介して「自分の気持ちを伝える」という術を習得しているのです。

そして、たくさんの詩や物語を書いていたり、あとは、「自閉症」である自分の内面をつづった「エッセイ」も出しています。 講演活動もしているようです。

彼が、13歳のときに執筆した、一問一答方式の『 自閉症の僕が飛び跳ねる理由 』

そして、大人になってから執筆した、『 跳びはねる思考 ~会話のできない自閉症の僕が考えていること~ 』

読んでいて、私は、とても心が揺さぶられます。興味がある方は、ぜひ 読んでみてくださいね。