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何が「できない」のか?

例えば、「お絵かき」の時間に「お絵かき」をしない子は・・?

例えば、幼稚園などで、先生が「みなさん、自由に、好きな絵を描きましょう!」と言って「お絵かき」の時間が始まったとします。そこで、何かが「できない」ために、絵を描けないで じっとしてる子がいたとします。

その子は、何が「できない」ために、絵を描けないのでしょうか?

男の子(虫眼鏡)

絵を描きたい気分じゃなかったんじゃない!?

もしかしたら、気分がのらないだけかもしれません。

そういった場合は、「脳の機能障がい」が原因ではないので、本人の中に「出来ないつらさ」はそんなにないでしょうね。でも、

もしかしたら、「自由に」の意味がわからなくて描けないのかもしれません。

もしかしたら、描きたいものを想像できないために描けないのかもしれません。

もしかしたら、描きたいものを想像できていても、 そのイメージを絵に置きかえることができないのかもしれません。

もしかしたら、絵を描くために必要な動作がわからなくて描けないのかもしれません。

女性(腕組み)

「絵を描く」一つで、脳の中は大忙しなのね!

そう。「絵を描く」という行為を行うためには、さまざまな脳の機能が働いているのです。それらの一つにでも「滞り」ができると、「絵を描く」という行為は成り立たなくなります。

そして、こういう「できない」状況というのは、本人の中では、「何でそれができないのかが、わからない‥」「できない自分‥」「まわりの子と違う自分‥」といった感じで、とてもつらい思いをしているようなのです。

私たちも、いくら「わからないことは質問してね。」と言われても、何がわからないかがわからないと質問すらできませんよね。そういった感覚なんでしょうね。きっと。

こういった場合、その子は、「お絵かきの時間」なのにお絵かきをしないからといって、「いけない子」や「問題児」になるのでしょうか?

例えば、「集団行動」からいつもズレてしまう子どもは?

では、これが「集団生活に合わせられない」となった場合はどうでしょうか? 小学校に上がったのに、集団行動からいつもズレてしまう。 指示が通ってないわけではないのに、いつもまわりに合わせられない・・ となると、「いけない子」や「問題児」にされてしまいませんか?

もちろん、年齢的な違いもありますよね。「幼稚園生だったら許容範囲だけど、小学生だったらちょっと問題‥」等となったりもします。しかし、なぜ、7歳になる年の4月~、急に求められることが変わってしまうのでしょうか? ・・それぞれのペースや個性があっていいはずなのに、「社会」が勝手にボーダーラインをつくってしまっているようにも感じますよね。

女性(腕組み)

確かに、それはそうかもしれないわ。

「集団に合わせられない」という場合にも、その子の「できない」には必ず理由があるはずなのです。

もしかしたら、自分のやりたいことじゃないことをやらせられるのが嫌なのかもしれません。

これは「脳の機能障がい」が原因での「できない」ではないですよね。でも、

もしかしたら、指示を理解するのにとても時間がかかるのかもしれません。

もしかしたら、具体的な指示でないと理解しずらいのかもしれません。

もしかしたら、自分の思いとは裏腹に、体が勝手にふらふらしてしまっているのかもしれません。

そういった場合は、「脳の機能」に何かしらの「滞り」があると考えられます。なので「支援」が必要とされ、「特別支援学級」にてケアされることになります。

しかし、そういった環境が、すべての子にとっていいとは限らないのです。よく自分の子どもが「発達障がい」と診断されても、どうにかして「普通学級」に入ってもらいたいと願う親御さんがいますが、それは、自分たち大人にとっての体裁という都合だけの話ではないでしょうか?

実際に、自分のお子さんは、何に困難さを抱えているのですか? それは、「特別支援学級」で個別指導を受けた方が、本人にとってプラスになりますか? それとも「普通学級」の中でも、本人の生きづらさを補う工夫次第で大丈夫なことですか?

そこには、「学校」としての方針や考え方も絡んできます。先生との相性も絡んできます。周囲からの見られ方というのも絡んできます。

でもまずは第一に、自分のお子さんの「困難さ」を、親御さん自身が理解していくことが必要ですよね。そして、その次に、お子さんにとっての一番いい居場所を、学校や先生や周囲の状況を見ながら、探していってください。「学校」がどうしても合わないという場合は、「学校意外の選択肢」をとってもいいと、私は思います。

そして、それは「発達障がい」に限ったことではありません。例えば ↑ の「自分のやりたいことじゃないのに、やらされるのが嫌」で集団行動からズレていってる子のような場合でも同様だと思います。しかし、いまは、そういった子に対しても「 問題行動 → 発達相談 → 「発達障がい」と診断される 」といった流れができていることもあります。

それは違うのではないか・・? と、私は思ってしまいます。結局は、「発達障がい」の診断が必要な場合もありますが、必要以上に「発達障がい」と言われてしまっている場合も少なくないのが現状なのです。なので、まずは「お子さんの心に寄り添ってあげること」を第一にしていきましょう。

女性(腕組み)

「まずは、心に寄り添う。」かぁー。簡単そうで、むずかしいことよねー。

「できない」が「できる」にならない

「発達障がい」という言葉は、何か、「発達に遅れがある」といったイメージになってしまう言葉ですよね。でも実際は、「発達に遅れがある」ということではありません。

一般的には、発達過程や成長過程に伴って「できる」ようになっていくことが、脳の機能的な部分に何かしらの「滞り」があるために、発達や成長の過程を経ても「できる」ようになっていかない部分がある。ということなのです。

赤ちゃん → 子ども への「発達」というのはものずごいものですよね。何にもできなかった赤ちゃんが、日に日に、月に月にと、できることが増えていく。・・自分で移動できるようになって、・・言葉を話せるようになって、・・ごはんが食べられるようになって、・・お友達とも遊べるようになっていく。そういった「できない」が「できる」になっていく過程が「発達」です。そしてそれは、幼児期 → 学童期 まで続いていきます。

「発達」というのは、人それぞれだから、少しくらい遅かったり、周囲に合わなかったりすることもあるかもしれませんが、その子のベクトルは、きちんと「できる」の方向に向かっていっているものです。

女性(笑顔)

確かにそうよねー。子どもの成長力って、ものすごいものね。

しかし、脳の機能的な部分に何かしらの「滞り」があると、そこが「できる」になっていきません。それが「発達障がい」というものです。

例えば、幼い子どもがおもちゃ屋さんの前で「これが欲しい!」と駄々をこねて大泣きしているとします。でも、それは、周囲からしたら「小さいから仕方ないね。」という雰囲気になりますよね。それに、その子自身も、成長に伴って、そういった行動では解決しないこと、そういった行動は恥ずかしいことといった認識を持っていくようになり、そのような行動はとらなくなります。

しかし、中学生くらいの年齢になっても、おもちゃ屋さんの前で同じ行動をしていたら、本人が抱えている「できない」や「つらさ」があることが計り知れますよね。

こんなふうに、幼いうちは、「発達障がい」と「発達」が混合されがちなのですが、その子自身のベクトルが、きちんと「できる」の方向に向かっていれば問題はないのです。

「発達障がい」の種類

脳機能のどこに「滞り」があるかで分類が変わってきます

「脳」というのは、とても複雑なので、どこか一つに「滞り」ができただけでも、いろんな方面に影響が出てきてしまいます。ただ、大きく分けると以下のように分類されます。

* 「LD(学習障がい)」「知的障がい」
・・学習に必要な機能の分野に「滞り」があります。

* 「ADHD」
・・注意をはらったり、行動を計画したり・統合したりする分野の機能に「滞り」があります。

「自閉症」「アスペルガー症候群」
・・人間関係をスムーズにする機能の分野に「滞り」があります。


ただ、これらは脳のことなので判断もむずかしいし、ほんとに個々に違ってきます。

* いろんな「できない」を複数にもっている人もいます。
* 一つの「できない」がすごく深い人もいます。
* 「できない」んだけど、なんとなくやり過ごしてこれた。なんていう人もいます。

それでも、それぞれが、「できない」がゆえに抱えている「つらさ」というのは、相当なものですよね。

「その子自身」をみてあげてください

例えば、「知的障がい」というのは、IQで判断されます。IQをはかるための簡単なテストをして、加えて、生育時の様子などを家族から聞き取りしていき、総合的に判断されて、「知的障がい」として認定されていくのです。

しかし中には、こちら側からの話しかけとか、いろいろなことが、わかっているけど、それに対して返事を返すことができない。という場合もありますよね。(「話すことができない」とか、「じっとしていることができない」とか。)「発達障がい」を重ね持つ場合は、特にそうです。

そういった場合というのは、「障がい者認定」制度に基づきIQという形にされた数値と、実際の理解度には差があるものです。あくまで「障がい者認定」は、社会生活を営む上で必要とされるものの手助けのために、規定に沿って提供されるものにすぎません。

なので、本人の「できない」や「できる」がどこにあるのかは、本当は、そういった数値や診断からは計り知れないのです。

そして、その「滞り」が、なぜ、できてしまっているのか? とか、それが 治るものなのか? 治らないものなのか? といったところも、実際には、わかっていないのが現状です。

従来、「「発達障がい」は「脳の機能障がい」なので治らない!」「できる部分でどう補っていくかが大切だ!」という認識の中、支援というものがされています。

しかし、私が最近出会った考え方には、「その「脳の滞り」というのは「代謝異常」なので、代謝を整えれば、治る!」というものもあります。それこそ「食」や「分子栄養学」で解決できることだというのです。

こんなふうに、まだまだ、わからないことばかりの「発達障がい」・・

ただ、その渦中にいる本人の苦しみを、わかろうとすること、知ろうとすることは、できますよね。

だから、私は、「その子」自身を見てあげて欲しいな。「その子」自身に寄り添ってあげて欲しいな。と思うのです。

女性(腕組み)

そうなのね。ついつい「○○だから」と考えてしまいがちだけど、そういった色眼鏡は外していかないといけないわね。