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女性(腕組み)

アトピーやアレルギーって「みんなと違う!」が目立っちゃうのよね・・ これがいじめにつながったりしないのかしら・・

世間の感覚と自分の感覚

世間の感覚

一般的には、「皮膚に目に見えて症状がある」や「特定のものを食べられない」=「かわいそうな子」ですよね。

「何も症状がないことが当たり前」「何でも食べられることが当たり前」の中で、「症状があることは特別なこと」「食べられないことは特別なこと」となってしまっています。

自分の感覚

じゃあ、自分自身の感覚はどうでしょう?

これはきっと、経験値で変わってきますよね。「アトピーやアレルギーを経験した人にしかわからない大変さ」というのが、絶対にあると思います。

女性(ショック.)

「経験した人にしかわからない大変さ・・」ってあるわよね。同じ境遇の人と話したときに安心感をかんじるもの。


両者のズレ

問題は、この両者のズレの部分ですよね。

アトピーやアレルギーに関わらず、感覚がズレている人と話していると疲れませんか? 特に日本人は「多数派を良し」とする風潮があるので、みんな無意識のうちにまわりに合わせようとして窮屈な心でいるように感じます。

そして、アトピーやアレルギーの場合は、特に「みんなと違う」が表面的に出てしまうから、「まわりと違う自分」はダメな人間なんじゃないかな・・ と思ってしまうのかもしれませんよね。

国民性の違い

こんな話を聞いたことがあるでしょうか?

日本では、「自分はみんなと違うんだ‥」と悩んだ末に精神病になる人が多いそうですが、欧米のどこかの国(具体的にどこだったかは忘れてしまったのですが、)では、「自分はみんなと同じなんだ‥ 個性がないんだ‥」と悩んだ末に精神病になる人が多いと言います。それは統計的に証明されていることなんですって。

つまり、「みんなと違うことが悪いことだ。」と思えば、それにはまらないと辛くなるし、「みんなと同じことが悪いことだ。」と思えば、それにはまらないと辛くなるんですよね。だから、同じ状況下にいても、自分の考え方の軸がどうかで、変わってくるということ。

いまは、その「自分の考え方の軸」を大人が持っていない場合が多く、「何となくまわりに合わせておけばいい。」の風潮が強いから、住みづらい社会になっているのかもしれませんよね。

女性(腕組み)

確かに そうよね。 何でもまわりに合わせようとしてしまうかもしれないわ。

子どもは大人を映す鏡

つらいのは誰?

じゃあ、そういった中で、つらい思いをしているのは誰なのでしょうか? 子どもたちかな? 親御さんかな?

「アトピーやアレルギーをもっていることで、いじめられないかな?」と心配しているのは親御さんですよね。ではその当事者の子どもたちはどんな思いでいるのでしょうか?

私自身の経験談で話すと、(息子の急性期は2~3才くらいの時だったので、もっと大きい子の場合は状況が変わるかもしれませんが、)

息子が、脱ステのリバウンドで顔中に真っ赤な湿疹が広がっていたときは、すごく、周りのお母さんたちから「どうしたの?」と聞かれました。そして、あえて、見て見ぬふりの人もいました。

子ども同士の関係性の中でも、「この子どうしたのー?」「なんで顔赤いのー?」と、他の子が寄ってくることもありました。中には、「アレルギーなんだよ。私も○○食べられないし、赤くなるよ!」なんて言って、納得している子もいたりしました。

でも、その子どもたちの疑問って、何も悪いものではないですよね。 問題なのは、それに対して、大人がきちんと答えられているか? の部分なんだと思います。

そこで、大人が、ちゃんとアレルギーに関して説明できているのでしょうか・・?

大人が、「あの子、アレルギーがあるんだって。かわいそうね。」と言ったら、そう言われた子どもは、「アレルギー = かわいそうなこと」と覚えていくのではないでしょうか。

大人が「見て見ぬふり」をしたら、子どもも「見て見ぬふり」をするのではないでしょうか。

子どもは大人を映す鏡

結局は「子どもは大人を映す鏡」なんですよ。大人が、アトピーやアレルギーなどの個々の違いを認め、相手を知ろうとする心を持っていれば、子どもにも、相手を認め知ろうとする心が育つはずなんです。

大人が自分自身の考え方の軸を持っていれば、子どもも軸を持っていくはずなんです。そしたら、自分自身が置かれたどんな状況にだって負けない人間になっていくはずなんです。

だから大切なのは、いじめられないかを心配することではなくて、親御さん自身が、お子さんのお手本になっていくことだと思います。

お母さんが「子どもをアトピーやアレルギーにしたのは自分のせいだ‥」と思っていたら、お子さん自身も「自分のアトピーやアレルギーは悪いことだ。」と自分を責め続けます。

でも、お母さんが「そんなことはない。アトピーやアレルギーによって、大切なことに気づかせてもらったんだ。」って、「ありがとう。」って思っていたら、お子さんは「アトピーやアレルギーの自分」を責めなくなります。そして、誰か心ない同級生に罵られても、負けない子に育っていくはずなんです。

だから、「アトピーやアレルギーをもっている当人が、自分を責めていないこと。」 その状態を、お子さん自身に作ってあげてください。お子さん自身がそう思えるようなバックアップしてあげてください。親として、大人としてできることは、目の前のお子さんを信じてあげること それだけでいいのではないでしょうか。

いまの社会のシステム

「いじめ」ってどうして生まれるの?

こんなことを言っていた人がいました。

「いじめは、お互いが「対等な関係性」で居れたら、きっと、ないんじゃないかな!」 それは、立場とか、年齢とか、すべてを含めて「対等」であるということ。

例えば、4歳対16歳だったら、どうしても16歳の子が4歳の子に言い聞かせようとしてしまいますよね。でもそうじゃなくて、まずは4歳の子の意見や思いを聞くんです。そして16歳の子は「自分はこう思うから、こうしたいんだ!」ということを伝えるんです。

それが、「お互いが、お互いを、認め合う」ということ。年齢や立場をこえた「対等」な関係ということ。

・・そんなふうに話していました。

だから、そういうシステムというか「枠組み」ですよね。そういうのを創っていくといいんじゃないかな。ということを話されていたんですよね。

子どもたちを取りまく環境

いまの子どもたちを取り巻く環境って、どうでしょうか? 「大人が決めたことを、子どもがやっている」という部分が多いと思いませんか?

例えば、こんな話があります。

デンマークと日本のハーフの子が、お母さんの故郷である日本に遊びにきて、日本の幼稚園に行った感想・・「お母さん、日本の幼稚園は、先生がぜんぶ決めちゃうよ! だからつまらない・・」だったそうです。

女性(腕組み)

そっか。日本では「大人が子どもに与える」が当たり前だけど、世界ではそれが当たり前じゃなかったりもするのね!

今まで「当たり前」にやってきたことを、ふと、外からの指摘によって覆されることってありますね。そうやって広域な視点から見ていくことって大事かもしれませんよね。

意外に知られていない「いろいろな枠組み」

いま、そんなふうに「大人が決めて、子どもにやらせている」ことが多すぎすのではないか? それによって、子どもの自主性が育ちにくくなっているのではないか? 枠にはまらずに辛い思いしている子が多いけど、そういった子どもたちは悪くないのではないか? なんていうこが、少しずつ気づかれ、考えられるようになっていっています。

そして、「子どもが、自分で決めて、自分でやる!」という経験の場をふやしていこうとする活動も広まってきています。例えば、

スクールのかたち

俗にいう「フリースクール」というのは、公立・私立の学校とは違う学校ですよね。一般的には「不登校」になった子が通う学校というイメージが強いかもしれませんね。それがいまは、「デモクラティックスクール」や「サドベリースクール」と言った呼ばれ方をしているところもあります。

この両者の違いというのは「運営」に子どもが関与するかしないか、なのだそうです。「フリースクール」は、大人が「運営」する形です。「デモクラティックスクール」や「サドベリ―スクール」というのは、子どもたちで「運営」していたり、大人が大まかな枠はつくっても、その中で「子どもたちが自由に決めていく」の体制があるスクールです。

そんなふうに、昔といまとで、「子どもたちにとって、いま、何が必要なのか?」という考え方とか形というのは、随時、変化していっているんですよね。

いまの子どもに「ビデオデッキ」の使い方は教えないですよね。「スマホ」の使い方を教えるでしょ。それと同じで、「昔ながらの教育」が必ずしも、いまの子どもたちにとっていいとは限らないんです。教育も温故知新で変化していくべきなんですよね。

女性(腕組み)

確かにそうね。


子どもマーケット

あとは、子どもが、自分たちで企画してやっているマーケットがあったりもしますよね。

プレーパーク

また、「プレーパーク」という、「自分の責任で、自由に遊ぶ」がモットーの野外の遊び場なんかも広がってきています。

いまは、便利な世の中になりすぎて、火をつけられない子、包丁を見たことがない子なども多くいるそうです。親御さん自身が、幼少期にそういう経験をさせてもれってこなかったのかもしれませんよね‥ でもそれじゃ、生きていけないんですよ。だから、そういった野外活動の経験はすごく大切だし、「自由と責任」がセットであることを、子ども自身が体感しながら学んでいくこともすごく大切なんです。

森のようちえん

もっと下の、幼児期からの枠組みとしても、「森のようちえん」や「青空自主保育」という活動も広がってきています。これは、自然の中で自由に遊ぶといった活動ですが、この活動のねがいというのが「自分で考えて行動する力をもつ人に育てる」なんです。

いまは、幼稚園から「お勉強」や「知育○○」をするところが増えていますが、幼少期は、人としての基盤を作っている時期です。この時期に感性も育ちます。なので、この時期は、大人から何かを与えるのではなくて、子どもの「自由な遊び」の中から見出されてくるいろいろな発見なんかを大切にしていってあげた方がいい時期なんですよね。

女性(腕組み)

こうして見ていくと、いろいろな「枠組み」って、あるものなのね!

「枠組み」は創っていける!

だから、今あるこういった「枠組み」を利用していってもいいし、そういったものが近くに無ければ、自分で創り出せばいいんですよ。どうしても私たちは「そうは言っても、あれがない! これがない!」と不満ばかりを言ってしまうんですよね。

でも、マイナスを数えたら切りがないんですよ。逆にプラスを数えても切りがないんです。だったら、プラスを数えていった方がいいと思いませんか? 「あれがない!」じゃなくて、「これがある!」って。

いま目の前にいるお子さんが、もし、つらい思いをしているのであれば、尚更ですよね。「お子さんに合う枠組みがない!」ではなくて、「目の前に、何かを伝えようとしてくれているお子さんがいる!」と思ってください。

ぜひ、目の前のお子さんが(「アレルギーっ子」だって、「アトピーっ子」だって、そうじゃなくたって、)つらい思いをするシステムや枠組みじゃなくて、「それも個性」と認め合えるようなシステムや枠組みを創っていきましょう。それは「自分自身の軸」を持っていれば、誰にだってできるはずなんです。上記のような活動が広がり始めているのも、その必要性に気づき、各地で動き出した大人たちがいるからなんですよね。

枠にはまっちゃっていると気づきにくかったりもするのですが、せっかく、子どもの「アレルギー」という形で、何かの「気づき」をもてたのならば、そこから、自分にできることを探していけばいいんですよね。私は、そんなふうに「アレルギー」をとらえています。

女性(笑顔)

そっかー。 自分の気持ちの弱さが、「いじめへの不安」になっているだけなのね!